update : 2021.07.11
国道156号線を岐阜から長良川に沿って北上して行くと、やがて白鳥の町並みが見えてきます。
かつて宿場町として人々が往来し賑わった越後街道沿いに、全量を”花酵母”で仕込む「布屋 原酒造場」があります。代表銘柄の「元文」は社長様のお名前であり、創業が江戸時代元文5年(1740年)であることに由来します。
社長さんは大学時代(東京農大)『イーストサイジン』の研究をされていました。『イーストサイジン』とは麹菌をある一定の条件下で培養すると生産される抗菌性物質で、通常の醸造過程では生産されない物質です。イーストサイジン環境下では他の酵母は増殖できず、優良な清酒酵母のみが生き残れるということです。(元文さんのホームページより引用)
[イーストサイジンによる花酵母の分離]
今から20年ほど前、社長さんの恩師である中田久保教授(当時)が「イーストサイジンを花に応用したらどうなるだろう?」とふと思いつかれ実験を行ったところ、なでしこの花から天然の優良酵母を分離することに成功されました。これは花酵母第1号であり、世界で初めての技術となりました。ご自身が研究されてきたイーストサイジンが応用されたと知り、恩師の研究に協力するようになったそうです。この応用技術はより正確に分離出来るよう、その後も更に研究・改良が続けられています。
驚きと興奮をもって社長さんのお話を伺いました。以下、”花酵母”について私が理解したことを簡単に記します。
・自然界には、いろいろな酵母が存在しています
・花には花酵母以外の酵母もいます(微生物なので「います」を使います)
・一つの花を採取したからと言って、必ずしもそこに花酵母が存在するわけではありません
・採取した花から取れる花酵母すべてがお酒をつくるのに適した酵母ではありません
・現在20種類以上の花酵母が分離され、16種類が製品化されています
・それぞれの花酵母は発酵力が違い、生成される香りや味にも違いがあります
・今までの経験から、どんな酵母を使えばどんな味のお酒ができるか見当がつくそうです
花酵母の発見から20年余り、花酵母でお酒を醸して早や16年が経つそうです。
花酵母を我が子のように語る社長さんの語り口は、穏やかながらも花酵母に対する愛情に満ち溢れていました。
ご自身の研究がもとになって成功した「花酵母」の分離。だからこそ「花酵母仕込み」には人一倍の愛着と情熱が窺えます。しかしながら、「きょうかい酵母」から「全量花酵母仕込み」への変更には幾多の試行錯誤があり、ご苦労も多かったようです。では、なぜそこまで「花酵母仕込み」にこだわるのでしょうか。
神谷:「きょうかい酵母」を使ったお酒と「花酵母」を使って醸したお酒は違いますか。
ーええ、かなり違います。
神谷:全量を「花酵母」で仕込まれていますが、「花酵母」の魅力って何ですか。
ーひと言でいえば、「酒質の安定性がいい」ことです。熟成させてもひね香が出にくく、まろやかに仕上がっていきます。 それにお米を磨かなくても、精米歩合70%で吟醸クラスのお酒ができます。「花酵母」には自然の中で生き抜いてきただけの力がありますから。
全量を花酵母仕込みにしてから、「蔵の中の空気が変わった」と言われたこともあります。
神谷:どのように変わったんですか。
ーふんわりやわらかい空気、優しいきれいな空気になったと言われました。
神谷:「花酵母」の持つ力って、すごいんですね。その中にいると、心も浄化されそうです。
神谷:今までどんな花の酵母が分離に成功したんですか。
ーなでしこ、日日草、つるばら、アベリア、コスモス、つつじ、月下美人、さくら、ベコニア、しゃくなげ、カーネーション、ひまわり、カトレア、マリーゴールドなどがあります。
神谷:元文さんでは、現在のラインナップとして「さくら・つつじ・月下美人・菊」を使われていますが、どうしてこの4種類を選ばれたんですか。
ー例えば、「アベリア」と聞いて、どんな花かイメージできますか?
神谷:アベリア? 名前は聞いたことがありますが…。
ー皆さんが聞いてイメージしやすく、味の特徴が出やすいものを選びました。
神谷:なるほど。あのう、インターネットで”花酵母”について調べた時に「さくら」の情報が少なかったのですが、発見されてまだ日が浅いんですか?
ーいや、そうではないんですが、「さくら」の酵母を分離するまでに随分時間がかかったからだと思います。
神谷:どのくらいかかったんですか。
ー10年かかりました。
神谷:え、10年も!酵母を見つけるだけでも大変な労力を要するのに…。手順通りに進めれば、簡単に分離できるというわけではないのですね。「さくら」はどんな酵母なんですか。
ーとても優秀な酵母です。酢酸イソアミル(バナナの香り)やカプロン酸エチル(リンゴの香り)といった香気成分をバランス良く出すんですよ。
神谷:香りをバランス良く出すんですか。とても興味深いです。”花酵母”はポテンシャルが高い酵母なんですね。
元文さんは「酒屋」なのに、なぜ「布屋」なんだろう?と不思議に思う方が多々いるのではないでしょうか。
「原家」の歴史を紐解いていくと、それは遥か聖徳太子が世を治めていた飛鳥時代にまで遡ります。
「原家」は聖徳太子の側近として仕えた秦河勝の末裔だそうです。歴史上に名を遺す錚々たる人物との関わりを持つ「原家」、いにしえから脈々と続く「原家」には驚くべき史実がたくさんあります。
以下、元文さんのホームページからの抜粋になります。
・1186年(文治2年)先祖に当たる伊東左近衛権藤原勝正が近江惣市で「白布」を手に入れた
それは「その布を手にした者は一生災難を逃れて、幸福を得る」と噂された目出度い布であった
・1740年(元文5年)郡上で酒造業を始めた当主は、この「白布」に因み、屋号を「布屋」と命名した、等。
今もなお、創業当時の蔵で酒造りを行っている元文さん。町屋住宅の間口の広さからしても風格を感じます。
さすが古格の蔵ですね。感服するばかりです。
”きょうかい酵母”を使っていた頃の
名残。泡なし酵母が開発される前はタンクの上にこれをおいて泡が噴き出るのを防いでいたそう(それでも噴き出ていたそうですが)花酵母は泡なし酵母なので、今は使っていないそうです。
詳しくはこちらのリンクをご覧ください。
http://genbun.sakura.ne.jp/page17.html
神谷:次はどんな”花酵母”で、お酒をつくりたいですか。
ー『れんげ』の酵母を使ってつくりたいと思っています。『れんげ』は岐阜県の花ですし。
実はずっと『れんげ』の酵母を探しているんですが、なかなか見つからないんです。これで足掛け12年になります。
神谷:え、12年も探し続けているんですか?!
”花酵母”のお酒は、まず「花を探す」ことから始まります。
目の前にれんげが咲いているからと言って、必ずしもそこで見つかるわけではありません。むしろ1ヵ所で採取した花から酵母が見つかるのは、ごく稀だそう。花を探すために、何年も何ヵ所にも根気よく足を運ばれているそうです。
”花酵母”はまさに自然界からの贈り物、花からの贈り物なんですね。自然の恵みに感謝して味わいたいものです。
Company Profile
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2018年シティホテル美濃加茂で「新酒研究会を楽しむ会」が開催されました。会に先立ち、日本酒学講師の阿部ちあき先生による勉強会があり、そこでペアリングとともに紹介されたのが「布屋 原酒造場」の純米酒です。印象は「キレイでキレのあるお酒」なおかつ「優しい」。「ああ、これが花酵母のなす業、花酵母ならではのお酒なんだな」と思いました。
それ以来、”花酵母”のことが気になってインターネットでいろいろ調べました。大学時代のご自身の研究が”花酵母”による日本酒造りに大きく寄与していて、そして今も”花酵母”の持つ可能性を追い求めながら、酒造りを行っていらっしゃる。酒造りにロマンを感じます。社長さんの一途な思いが新しい酵母の発見につながり、新しい日本酒への誕生につながる。なんてステキなことでしょう。飽くなき探求心は無限の可能性を携えています。
次はどんな”花酵母”のストーリーが展開されるのでしょうか。心待ちでなりません。